運命なんて感じたことも無ければ、嫌いだ。

人生

どうも、ゆめとです。

ボクは「運命」という言葉が嫌いです。代用するとすれば「奇跡」の方かなと思います。

ボクの結論

 

人生は全て「選択」の連続であり

「運命」なんて言葉で片付くモノは1つも無い。

 

運命なんて言葉が誕生した意味すらボクには到底想像がつきません。起こってしまった事象について「運命」という言葉を使いますが、それは慰めでしか無いとボクは考えます。

人生において「運命」なんて言葉で片付くものはない

人生は選択の連続の結果

人はいつでも大なり小なり選択を繰り返している。ついつい大きな選択ばかりが目につくけど、毎日が小さな選択の積み重ね。

ボク自身、人生のターニングポイント。と言える選択は何度かあったし、そういう大きな選択のポイントというのは色濃く覚えているもの。さらに言えばそこに後悔があればあるほど人は選択を重くとらえる。

それはきっと当然なこと、誰しも「失敗なんかしたくもなければ、失敗だったなんて思いたくもない」。

しかし、本当に目を向けるべきは1番最後に行った選択ではなくそれまでに積み重ねてきた選択の方だと思う。招いてしまった結果について、そこに至るまでの自分の行動という選択は間違っていなかったのか、もっと最善は尽くせなかったのか。それを見つめなおせて初めて大きな選択は意味を成すのだと思う。

そして「反省はしても後悔はしない」コレがボクの思うところ。

どんなに後悔をしてもやり直せない過去なのだから、しっかりと反省をして先の未来へと活かすこと。そうすると日々の小さな選択の積み重ねの方が変わっていく。自分を昇華させるために何が必要なのかを見つめなおすこと。

運命なんて言葉で片付てはいけない

「運命」という言葉は良い意味でも悪い意味でも使われる、特に悪い意味で使われる時、それは言い訳でしかない。

運命的な出会いだとかは何ともロマンチックだと思う。でも、そうなる運命だったとかそんな言葉は結果論に対する言い訳でしかない。

良いことであろうと悪いことであろうとそこに至るまでの過程が必ず存在するということ。「運命」という言葉で片付けることは、糸も容易く、その時の心の逃げ道としては良いものなのかもしれない。

でもそれは同時に自分の選択してきたモノに対しての責任から目を背けることになってしまう。それではきっと同じ選択を繰り返して同じ失敗をするだけ。

あなたが、歩いてきた人生に選んできた選択に「運命」なんて一言で片付くものはないとおもう。

失敗をすることは悪いことではない。

誰にだって似たような失敗があるもの。寧ろ失敗をしたときに誰かに話を聞いてみると同じ経験をした人が助けてくれる。大事なのは失敗から目を背けないことと、次の失敗を恐れないこと。

先にも述べたように、失敗することはいくらでもあると思う。そしてそんな時、見つめなければいけないのは成功した相手でもなければ自分よりも下の相手でもなく、自分自身だということ。

コレはボク自身がよく陥っていたことなんだけど、成功者の成功話ばかりに憧れてその人の苦労を知ろうとしなかたり、自分より劣っている人を見て安心したり。そんなことをしていても自分自身の行い、選択って何にも変わらない。

「人の振り見て我が振り直せ」なんて言葉があるけど、その通りだと思う。人はどうしても自分の行いを見つめなおすってことに関しては疎いと思う。それをどれだけ客観視して反省できるかが大切。

つぎはぎな日々

必死で掴み取ったもの

必死で追いかけて掴めなかったもの

 

笑って、泣いて、怒って

あなたにしかわからない思いは

 

「運命」では片付かない

まとめ

今、幸せな人もそうでない人もそこに至るまでにはたくさんの選択の連続だったと思います。それは些細なことも含めて全てです。その日、食べた物、言った言葉、言わなかった言葉、行ったこと、行かなかったこと。

その1日においては何事もなかったかもしれない。なんの変化もなかったかもしれない。そんな些細な選択の連続が今の自分で、そして今大きな選択を迫られているんです。

そう考えたら「運命」なんて一言で片付くワケがないんです。そんな言葉で片付ける前にもっと大切なことがきっとあるんだとボクは思います。

今までの過去が後悔であるならば、その先の未来を変えるためにも受け止めることが大事なんだと思います。

それでは、この辺で。

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