どうも、ゆめとです。
今日は人生において、重要であろうお金と時間の話。
ボクの結論
お金と時間を使うときは自分の気持ちに素直になること
自分の為に使ったモノは損だと思わない
ということで、自分の時間というモノを再び見つめ直し、お金というモノの面倒臭さなんかを知ったボクが最近思うところを書いていきます。
結局のところ、今回も気持ちの話になるんだけどwお金や時間は費やした量では無く、自分の気持ちにどれだけ素直に使えたかが大事という話。
お金や時間の使い方、自己中心で考えよう
人生お金が全てじゃない?お金のとらえ方
『時は金なり』ということわざは有名だよね。
時間はお金と同様に貴重なものだから、決して無駄にしてはいけないという戒め。
出典:古事ことわざ辞典 http://kotowaza-allguide.com/to/tokiwakanenari.html
という事なんだけど。もともとお金っていうのは自分の時間と労力を掛けて稼いだものだよね?ということは、お金っていうのは十分価値の高い存在だとボクは思うワケ。
別に「人生お金がすべてじゃない」って言葉を否定するつもりも無いし、幸せの形は人それぞれ。ただ、それだけ価値の高いモノだからこそ大事に使いたい気持ちもわかるんじゃないかな?「あの人はケチだ」とか「あの人は金に目が無い」とか言うけど、そもそもそれは当たり前のことであって。
その人からすれば、ただ「ここにお金を費やす価値が無い」と判断したからそうしたまでで、そんなことを他人がとやかく言えるモノではないと思う。
お金は人生において十分に価値のあるモノととらえよう。
デートは奢ってもらうのが当り前?
上の見出しを踏まえたうえで言うよ。当たり前ではない!先ほども言ったけどお金は価値の高いモノ。決して奢ることは当たり前では無い。でも中には奢ってくれる人も居る、だからこそ奢ってくれない人がマイナスに映るワケなんだけど。
ここからは自己中心という感情を入れて話していこう。
例えば、誰かとご飯を食べに行ったとして、その時の会計を奢るかどうかに見栄は張らない方が良いし奢るのが当たり前だとも思う必要はないと思う。大事なのは「奢ってもいいという自分の気持ち」。
- その人とご飯が食べたかった
- 楽しい時間を過ごせた
- 美味しいものを食べさせてあげたかった
etc
あくまでも、「相手と一緒にご飯が食べられて嬉しかった」という自分の気持ち。その幸せな感情へのお礼としてお金を使うこと。
奢るという行為を相手へのメリットだと考える人は、奢ることをやめた方がいいと思う。それは後々自分への後悔や相手への不満へ変わるから。「奢ってやったのに」なんて相手に見返りを求めるなんてあってはならない。
時間は限られている、自分にメリットの無いことは断る勇気!
ここはあえて「興味」では無く「メリット」と書きました。仕事の付き合いや人間関係もあると思ったので。
時間というモノは限られている。一生を無駄なく生きようと考えるとなかなか難しいけど1日とか1週間を自分の為に使おうと思ったら意外と行動できるんじゃないかな?
ボクの人間関係は基本的に狭く深く、自分にメリットが無い、自分が一緒に居て楽しくないと思った人とは仲良くなろうとしないし、来る者拒まなければ去る者も追わない。
先程のお金の話同様ではあるが、他人と時間を共にするときもそうだが、「相手を楽しませる為に無理に付き合う」ことはない「相手が楽しんでいることに対して自分が幸せに思える」「もしくは自分が楽しいから」だから人は誰かと一緒に居たいと思う。
例え最初は仲が良くても、いつの間に相手と居ることが苦痛になってしまってあるのであればその人間関係は貴方にとってマイナスなモノ、もう一度その相手とやり直したいと思えるならばその努力は必要だけど、変な責任感や上辺だけの人間関係ならやめてしまおう。
つぎはぎな思い
ボクがキミの為にすることは
全部ボクの為
キミの笑顔が見れるなら
この時間をいくらでも使えるのに
キミが笑えないのなら
こんな時間に意味は無い
まとめ
費やした時間やお金は、本当は誰の為に使っていたのか?じっくり見つめなおしてください。変な下心や見返りを考えてそれらを使っていると必ずいつか人間関係が煩わしくなるのではないでしょうか。
何かをしたいという気持ちは自発的であるべきで、そこに他人の感情を交えるものではないでしょう。「相手が喜ぶだろう」相手の感情を期待してしまうとどうしても思っていた反応が返って来なかった時に不満に変化します。
「自分がしてあげたい」からした。だとすればそこに相手の反応がイマイチであっても少し気が楽になりませんか?相手からしてみてもそれは「貴方が勝手にしたことでしょう」というのが本心だと思います。時間とお金の使い方、気持ちの持ち方を皆さんも考えて見ましょう。
それでは、この辺で。
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