どうも、ゆめとです。
目下、人生崩壊中で今日も萎えてますw
(いつか詳細を記事ネタにしようと思ってるのでお楽しみに)
でも行きます、生きます!
ボクの結論
堂々と夢を語れる人って、魅力的。
良い笑顔するんだな。
ただなんとなくで生きてきたボクは今更にそんなことを気づかされました。
あー成れたらいいなあ、こー成れたらいいなあ。
そんな事を思っても何をするワケでもなく、始めたと思えばすぐに諦める。熱量も無ければ、計画性も無い・・・。
そんなボクが、夢を語る人から思ったこと。
夢を見ないで人は生きれるの?
夢っていつまで見ていいのかな?
ボクは高校の進路相談の時期に教師に言われました。
「もう少し現実を見ろ」「前向きに考えろ」
少し前まで、どんな夢だろうと応援してくれた大人たちは急にそんな事を言い始める。それは、ボクが夢を見る歳では無くなったからなのかな?
現実に向き合った時、ボクは挫折した。自分の無力さや煩わしい人間関係、頑張ることから逃避した先にあったのはただ過ぎる毎日。
今のボクの姿はまさしく自分で選んできた結果の姿。
夢が見れるから生きれる
ボクの友人には、同い年で社会人と無職を繰り返し未だにパートの人がいる。
何なら、その人がボクにブログのいろはを教えてくれたワケなんだけど、本人は様々な職場を体験した結果「自分には会社というモノがそもそも合わない」って考えに至ってネットビジネスに行きついたそうだ。
まだ利益は少額だけど友人の積み重ねた塵は、今確かに山に成ろうとしている。
世間一般から見れば、それこそ「いい歳して何してんだ、現実を見ろ」なんて言葉が出るのかな?でも、ボクは素直にすごいと思った。少なからず夢を見るだけのボクとは違う、友人は行動を起こし着実に成果をあげている。
それは、夢・将来のビジョンに向かっているからだろう。生きようとして頑張るのは意外と大変で、キツイものだ。それを可能にするのはやはり夢だったり、目標なのではないだろうか。
現に今のボクは生きる為とは言え
『人生の再構築、自分の幸せの実現』
という、夢を見れたから動き出そうと思ったのだから。
夢はなんだっていいと思う
欲しいものだったり。好きな人だったり。行きたい場所。なるべく明確なビジョン。そこに大きい小さいは関係なくて、少なくともその人にとっては生きるための糧になる。
もう一人、ボクの知り合いの話
その人の夢の話は、ボクの夢とは次元が違うというかそれこそ「ボクの夢なんかちっぽけだな」とか思ってしまったんだけどw
本当に情けないと思ったのは、何もしていない自分。ボクなんかには到底思いもつかない、そんな夢に向かって真面目に考えて進んでた。それを語るその人はとてもいい笑顔だった。
語れる夢が欲しい!
結局のところ
ボクが夢を語れないのは、それが大きいとか小さいとかじゃなくて夢に向かって何も努力をしてないから。胸を張れる苦労もなければ、何か目的をもって計画を立てるわけでもない。
夢を叶えた人の話だけを聞いて羨ましがって、自分の現状に萎えてしまう。今更になってそんな事を気づかされたけど、今を必死に足掻いていつか笑って話したい。
成功するかどうかはわかんないけど。
「夢を見て良かった」って
つぎはぎな思い
夢を語るキミは笑ってた
胸を張って語れるキミの夢を応援したい
そんな事を考える反面
ボクの想像を超えるその夢は
まるでキミが宇宙に旅立つような
2度と会えなくなるような気持ちにさせる
ボクは『ボクの夢』に
笑顔でさよならが言えるのかな
まとめ
やっぱりボクは「夢を見ずに生きることは無理そうだな」って思います。例え小さくても何か夢があるから今が頑張れるし、楽しいと感じれる。まさしく生甲斐ってやつですね。そして、その夢を他人に堂々と話せるってのは、それを恥じることが無いからなんじゃないかなと思います。その夢が叶わなくても、挫折しても、その苦労を認められたらそれは次の夢への経験、自分の磨くもの。そんな夢を語れるようにボクも頑張って行きます。
それでは、この辺で。
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