どうも、ゆめとです。今日は紅蘭さんのニュースの件で言われています。「らしく」「らしい」の話です。
ボクの結論
「らしさ」「らしく」とは
演じること、洋服を着替えることと同じ
まず、最初に今回の話は紅蘭さんのニュースに対してどちらが正しいとか、間違っているという話ではありません。むしろどちらも正しくどちらも間違っているというのがボクの見解です。むしろお互いが「自分は正しい!」を振りかざして相手を尊重できないのが問題かなと思います。
それでもこの「〇〇らしく」「〇〇らしさ」というのはどういうことなのか考えていきたいともいます。
「らしさ」とは与えられた役
前にボクは「自分らしさ」についての記事を書きました。もし、プライベートな場面や本当にあなたが1人だけ独りなのであれば、あなたは「自分らしさ」を演じて、着て、自分の人生を楽しめば良いと思います。それはあなたの人生ですし自分だけの問題だからです。
それこそ他人がとやかく言うものでもないと思います。
ただ、私たちはこの世界にいる以上本当に独りにはなれません。家族がいて友達がいて、学校や会社に所属しています。そうなれば、周りに迷惑の無い格好や立ち振る舞いが必要な場面というのが出てきます。
それが「らしさ、らしくを演じる」ということです。
「自分らしさ」が自分のためにあるのならば、「親らしく」とか「子どもらしく」、「社会人らしく」は周りにいる誰かのためにあります。
「社会人らしくないな」とか「親らしくないな」と言われて「別に自分は自分だ」と思うのは勝手であり、自分勝手なんです。
私たちは、決して1人ではないので「自分らしさ」と「〇〇らしく」を演じる、TPOに合わせる必要があります。むしろそれをファッションのようにTPOに合わせて着こなせるのが大人なのではないでしょうか?
それでは、この辺で。
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