どうも、ゆめとです。
今回は人の気持ち、「こころ」について思うところを
書いていきます。
ボクの結論
人の「こころ」は『つぎはぎ』だらけで形成される、それが生きること。
つぎはぎを寄せ集めてでも人間で居たい
生きていくだけで「こころ」は擦り切れ穴だらけ
ああ・・・
本当生きて行くのは「大変」「疲れる」
仕事、勉強、人間関係、好きだの嫌いだの。何も考えずに好きな事ばかりをして生きてたら、こんなに「こころ」に穴が開くことは無いのかな?
特に「好き」とか「嫌い」なんてのは、煩わしくて時々嫌になる。『こんな気持ちになんかならなきゃ良かった』なんて、後悔する。
でも、それは自分の思い通りにならないから。
きっとボクも誰かに同じ思いをさせて居るのに気付かずに居る。擦れ合って、穴を作って人間関係、恋愛はそれの繰り返しだと思う。
人の「こころ」はパズル
人の「こころ」はパズル
色んなモノや人がピースになって形成されている。
これが、少し前のボクの「こころ」のとらえ方。家族や友達、恋人、好きなもの嫌いなもの色んなモノがピースとなってる欠けたピースの穴はその人にしか埋められない。
だからこそ、そこを埋めようとして代わりのピースを探しても寂しさは埋まらないし無理矢理に嵌め込もうとしたピースは余計に穴を抉ってしまう。
人の「こころ」はつぎはぎ
人の「こころ」はつぎはぎ
色んな色の布が寄せ集めて形成される。
最近、思い直したのはこっち。前提は一緒だけど少し考え方が変わった。
パズルにすると欠けた穴はいつまでも穴のままだしつぎはぎとするなら、その穴を満たすのに不十分な布を宛がうとこころは引っ張られてきつくなる。でも、穴を満たす程の大きな存在に会えた時こころは修復され傷が癒える。
だから人はくっついたり、離れたりする
「こころ」を形成する為に必要だと思っていた相手だったはずなのに何時しか、穴が塞げなくなったり、他に塞げる相手が見つかったりする。
仮に穴が塞がって居たとしても、もっと素敵で綺麗な布が見つかればそれと取り換えたくだってなる。誰だってお気に入りの布を寄せ集めて自分を飾りたい。
自分の好きなものだけで縫い合わせればそれはさぞ幸せな「こころ」の出来上がりだろう。誰もが羨ましがって、自慢したくなるそんな「こころ」をみんな作りたい。
泣くのはいつも残される側、だって離れる方にとっては既に必要でなくなったんだから冷たいようだけど、それが人間なんだと思う。
つぎはぎな思い
キミのお気に入りはいつも離れていく
その度にキミは傷ついて泣いて「なんで私は一人なの?」って
でも一人なんてことは無いんだよ、それはキミのお気に入りばかりが
離れてくからそう思うんだ。
キミのことお気に入りだった人が居たのに離れたことキミは気づいてるのかな?
きっと皆そう、気に入らないものは剥がしてお気に入りに取り換える。
泣いているキミの穴を塞いであげたいのに
『その穴はボクじゃ塞がらない』
そんなことを思ってるボクだって誰かの穴を塞ぐのをやめた一人。
つぎはぎだらけ。
まとめ
きっと誰もが自分の「こころ」を保つのに精一杯。だって「こころ」が壊れそうなんだよ。その気持ちは当たり前のこと、誰かを傷つけるのが怖くて優しい振りをして我慢してもいつか貴方の「こころ」の穴は大きくなりその人では塞げなくなってしまう。
誤魔化しても逃げてもいつかは誰かを傷つける時が訪れる、それなのに人は『傷つけられたこと』は覚えていても『傷つけたこと』は覚えていない。だって「こころ」に空いた穴は自分のモノしか確認できないから。自分の「こころ」を修復できた安心感と引き換えに誰かの穴を作っている。
生きることはつぎはぎの繰り返し。
ボクの幸せは誰かの不幸でできている。
それでは、この辺で。
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