どうも、ゆめとです。
今日は恋愛についてボクの思うところを書いていきます。
ボクの結論
「好き」という言葉で好意は測れない。
好意の表現の仕方
言葉にすることだけが表現ですか?
結論として上記のように書きましたが、「好き」という言葉が好意の表現にはなりえない、7と言いたいワケではないです。
ただ、ボクは好意は行為で表現された方が嬉しい。
『喜んで貰おうとしてしてくれたこと、心配してかけてくれた言葉、繋いでくれた手』
「そんなの面倒くさい、回りくどい!」なんて思うのかな?
言えば終わる言葉なんかよりも行為の方がより思いやりや大事にしてくれている気持ちが伝わりませんか?
誰にでも使いまわせるそんな言葉よりも、貴方自身の事を思ってしてくれた行為。それって特別な事だと思う。
そんな面倒くさい事なのにしてあげたくなる
それがボクにとっての「好き」。
言葉というコミュニケーションツールの曖昧さ
いつも思うんだけど、言葉という手段はとても曖昧だ。
言葉の真偽は言った本人しかわからないにも関わらず、言葉は受け取り手が真偽を決めるということ。言葉というコミュニケーションツールが成り立つ条件としてお互いの信頼関係が必要だからそこには少なからず他の人よりも強い絆はあるんだと思う。
それにしてもだ。
極端な話、ボクが相手の事を嫌いでも「好き」と言ったとして、そんな言葉でも相手が信じればそれは真になる。
当然、逆もまた然りで相手がいくら「好き」だと言おうがそれを決めるのはボクであり、結果的にボクは相手の行為を受け「本当にこの人はボクが好きなのかな?」と疑問になるのだ。
だからこそボクは言葉による好意の表現が嫌いだ
言葉は幾らでも取繕えるけど行為は思いやる気持ちが無いとできない。
言葉は使うほどに価値が減る
「好き」という言葉を簡単に連呼されるのもボクは嫌いだ。
ストレートな表現、それは素直さの表れなのかもしれない。でも、ボクはその言葉を連呼されるたびに「好きってそんなに簡単に言える言葉なの?」と、思ってしまう。
使えば使うほど、その人にとっての「好き」という言葉の価値が軽くなって行くそんなイメージ。
『そんないつでも、誰にでも言える言葉ならボクは欲しくない』
「好き」という言葉を誘発してどうするの?
たまに「私の事好き?」と聞く人が居ます。
この質問をする人の気持ちは「言ってくれないとわからない」「ちゃんと口にして欲しい」等あると思う。そう思わせたのならきっとボクの行為が足りないのだろう。
ただ、自発的な「好き」ならまだしも誘発的なこの言葉に意味はあるのか?
この質問の回答は2択ではなく1択だと常々思ってしまう。散々否定して来たが、言いたい時はボクだってちゃんと「好き」って言うんだ、それが今じゃないだけ。
つぎはぎな思い
ボクの「好き」って言葉はキミにはどう聞こえてるのかな?
本当?嘘?
解らないから
ボクは手を繋ぐ
泣いてる君の傍に居たい
キミが笑うと嬉しいんだ
不謹慎だけどキミがこの世から居なくなった時
ボクはちゃんと泣いてあげたいと思ったんだ
「好き」なんてそんな2文字で済むような気持ちじゃない
そんな曖昧で不確かな言葉じゃ伝わらないから
ボクはキミに会いたい
まとめ
自己満足なボクの意見をつらつらと書かせてもらいました。言葉よりももっと相手の行為を見てあげて見てください。貴方が思っている以上に貴方は思われてるかもしれません。逆に言葉は沢山言われてても、良く見てください。
その行為は本当に貴方の事を思ってる行為ですか?『思いやり』って言葉は最近のボクのキーワードだったりします。人は無意識に自分の幸せを優先する、きっとそれが人間だし当たり前なんだと思う。でも、本当にその人の事が好きで大切で、そんな人に会えた時自分より相手の事を思えたりするんです。
ちょっと恥ずかしいけど本気で書きました。
それでは、この辺で。
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